考察4:A7の記憶と成長
アフタヌーン1999年5月号において、A7の記憶と精神成長に関しての興味深い台詞がある。アルファの独り言なのだが、まず気になったのが「物心ついたときには〜」というくだりだった。

物心がつく・つかないという精神状態があるということは、つまりA7が生まれてきたとき、その精神状態は赤ん坊同然であろうことが想像できる。人間の場合、生まれてきたときの大まかな方向性以外、個人個人の性格というものは生活環境に大きく左右される。自分の周りをとりまく存在をそれぞれ個別の物と意識的に認識しだしたとき、それが物心ついたときといえる。私はヨコハマ買い出し紀行を読み始めた当初、A7シリーズはある程度の人格形成がなされてからロールアウトするものだと思っていた。しかしこの台詞から察するに、どうもしばらくは小さな子供同然の精神状態のようだ。彼女を1人前の人格に育てた初瀬野オーナーも大変だっただろう。

次に気になったのは、各所ですでに以前から論議されている記憶の消去・消滅に関することである。人格がある場合、記憶が永遠にすべて残っていたら、それは本人にとって非常につらいことであろう。人は辛いことにあっても、その記憶を薄らげることによってそれに耐えうるようになっている。ただ忘れる場合も突然ズバっと記憶が削除されるのではなく、段階的にゆっくりと薄らいでいく。A7の場合も個体毎の人格があるうえ、ロボットである彼ら(彼女ら)の命は半永久である。もしA7の記憶が全部のこっていた場合、記憶装置の容量もすぐに足らなくなるであろうし、また本人たちにとっても非常に辛い事態となるであろう。このことを見越して、開発スタッフたちは記憶の制御を人間のようにしたのではないだろうか。
(C)1998/2007 Takayuki Kazahaya