黒船を撃てっ!!!
西宮市の史跡です。西宮浜にで〜んと鎮座しています。
 
西宮砲台全景  一見旧軍関連の軍事施設にもみうけられるが、実際は幕府が幕末に建造した海防施設である。

 ペリー来航やプチャーチン来航に恐れをなした幕府が摂津海岸の防備を急ぐため、西宮浜や今津港など阪神圏の海岸数カ所に同じ設計で建造したものである。

 壁は巨大な石材を鉄骨で組み上げた上に漆喰を塗った構造で、内部での大砲の射撃の反動や外部からの砲撃に十分耐えうるようになっていた。

 完成後の試射の結果、硝煙が射撃室内部に充満したまま抜けなくなる不具合が発覚し、結局砲台として使われることは無かった。その後内部の木造部分は明治15年に火災で焼失している。

 現在の姿は昭和49年に行われた修復補強工事のもので、その工事のときには概観だけが修復された。
全部で12ヶ所ある銃眼を拡大したもの。

内部は3段構造でその2段目に2門の大砲が設置されていたらしい。

海防施設なのだから海側だけに銃眼とか装甲とかがあればいいと考えるのが普通なのだが、なぜかこの砲台は陸側にも装甲が施されている上、開口部もこの銃眼だけである。これでは射撃後の硝煙が抜けきらないわけだ。ちなみに右の写真、上の写真の砲台を挟んで反対側から撮影したものである。

この銃眼のサイズから考えると、近代型のライフル砲を装備したとしても、装備できるサイズは16cmクラスまでだろう。要するに戦車砲と大差ないサイズの砲しか設置できないわけである。同時主力のアームストロング砲でも、砲径の大きな物は設置できなかったに違いない。
西宮砲台・銃眼拡大
今津灯台 こちらは西宮浜から東へ2kmほどの今津港入り口にある今津灯台。安政年間に現在の大関酒造かどっかの造り酒屋の主人が発起人となり、今津に港を築いたときに設置したもの。

設置当初は灯火が行灯よろしく油だったために油障子がつけられてあったのだが、大正になって電灯に交換されたために油障子は撤去された。

なおこの灯台は現在でも、海上保安庁の海事標識として現役で稼動しているというのだから驚きだ。
こちらは西宮砲台から東へ1kmも離れていない夙川河口にある西宮回生病院の玄関である。この病院、小説「火垂るの墓」に登場する病院そのものである。スタジオジブリのアニメでも、このまんまの姿で登場している。

今回の取材はバイクで行ったが、回生病院から灯台まで歩いてもそんなに時間はかからない。夙川近辺の鉄道駅からぶらっと7kmほどの散策を楽しんでみてはどうだろうか。近所には造り酒屋のアウトレットの店などもたくさんあるので、ついでに立ち寄ってみるのもいいかもしれない。
西宮回生病院正面
取材車両:’91Cannondale M Custom、’91DT200WR
撮影器材:CASIO QV−11
資料提供:西宮市教育センター図書館
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