0806広島往還 |
今回の旅のきっかけは写真でした。写真展に出展しないかと誘われて出展したのです。当初から中間の土日に観覧・激励・受付の交代とかをしに行くつもりでしたが、懇親会やるべと誘われたのもあり、それ込みで広島往還を計画したのです。てなわけで今回の目的は立案段階では2つでした。
○写真展を観覧し懇親会で交流を深める
○経路にある式内社や聖地的神社数社にお参りをする
結局のところ備後一ノ宮に参拝しそびれた以外は当初目的をほぼクリアした旅でした。
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作戦立案 |
当初の予定では払暁5時に出撃、湾岸線→神戸線→第二神明→加古川BP〜太子龍野BPで龍野まで走り、R2で備前まで走ったら備前から福山西までは山陽道。福山西から尾道BPで尾道へ向かって2社参拝。さらにR2でBPと本道をつないで西進し、市内を抜けて廿日市で速谷神社参拝、市内に戻って護国神社を参拝して会場入りで1日目終了。帰路も多家神社を参拝してからR2で尾道まで走った後に吉備かその先くらいまで上を走り、適当なところでR250へ向かって赤穂の伊和都比売神社を参拝してからいつもの経路で帰投予定でした。
が、状況はYZFへのETC導入で一変します。
当初案はETCの装備が間に合わないことが前提だったのですが、ETCが出発前々日に届いたので、初日は深夜割引をフルに使う作戦に出ることになりました。4時前に中国道に上がって山陽道経由で福山西へ。あとは時間見合いでテキトーに走り、眠さに絶えかねたら仮眠をして〜という超お気楽手抜き計画に変わってしまったのでした。
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状況初日 |
前日9時半過ぎに就寝、2時過ぎに目が覚めたのでそのままネットを見ていたららおた君がmixiに「これから寝る」とかなんとか書いてたので、俺ぁ今からおきてこれから出撃とか書いてしばらくうだうだ。前日に全ての準備は終わらせてあってあとは着替えて出るだけなので。
3時10分状況開始。中国道宝塚ICへと向かいました。宝塚IC3時35分通過、淡河PAに4時過ぎに到着。仮眠を取ろうとしたけど眠れなかったので用を足したらそのまま旅程を続行しました。当面は100km制限区間が続くので80謎単位前後で走り続けたのですが、たつの西SAを過ぎてちょっと行ったところで燃料警告が点灯してしまい万事休す。実はたつの東の次は吉備までSAがないと思い込んでいたのですよねぇ。実は通勤で使って90マイル程度を走ったまま燃料補給無しで出撃しちゃったのですよ。
まぁ結局なんとか吉備まで到着し給油できたのですが、その間の40マイルほどは冷や汗モノでした。ちなみに警告が点いてからの推計燃費は悪く見積もってリッター26km、良いほうに推計すると32km前後走ってる計算になりました。ここで給油と食事を済ませたのですがSA到着時点でまだ5時半。6時過ぎまで休憩してから移動を再開したのですが、それでも尾道市街に突入したのは7時前後だったのですよ。
なぜ尾道に寄ったのか、その目的は今回は御袖天満神社と艮神社への参拝です。この二社、かみちゅ!の来福神社の社殿&境内のモデルとなっているのですよ。時間の都合もあってその他の散策は別途その為だけに再訪するつもりだったので、地図情報を頭に叩き込んでから作戦を開始します。でも初見の場所での脳内記憶地図なんていまいち当てにならないのは先例の通りでして、迷ってるうちに先に艮神社を見つけました。ロープウェイの下ってのが分かりやすいですよ。でも早すぎたので一旦撤退、続いて御袖天満神社へ行ったのですが、こっちは作品に登場する風景とずいぶん違うことにちょっとがっかり。山のエラいてっぺんにあるわけでもないし、境内は鬱蒼と生い茂ってる上にかなり狭いしで、かみちゅ!の作品の風景とはずいぶん違いました。こういうのを見ると映画やアニメのクリエイターって上手にシーンをつないで別の地形を作り出してしまうもんだなぁってびっくりしてしまいます。で、ここはいろいろとビッミョーだったのもあり、ご朱印を拝領したらそそくさと辞して再びR2を西進しました。
広島へは当初、R2で全線走るつもりだったのですが、糸崎で何を考えたのか呉線回りで走ろうと思い立ったのが良かったのやらダメだったのやら。国道を呉線に沿って延々40マイル前後で走ることになりました。その途中で見つけたのが風早駅なのですよ。見つけた瞬間に急停車でしたね〜。ここで休憩してからまた呉に向かって走るわけですが、広を過ぎたあたりから道路が混雑し始め、呉の手前のトンネルではゲロ混みでした。てかなんであのトンネルの前後だけゲロ混みなの??わたしゃトンネルをパスして旧道の峠道へと逃げちゃいましたよ。普通に50謎単位イーブンで走り抜けられる峠でしたし。
呉についた時点で10時すぎ。どうせなんでってことで大和ミュージアムにも寄り、1/10大和や金剛型戦艦に改装前に積まれていた本物のボイラーを拝んだ後、呉を後にし広島を通過して廿日市の速谷神社へと向かいました。速谷神社へは西広島BPのどこで降りてええのやらで迷いながらだったのですがなんとか到着、ご朱印を拝領したら今度は広島市内へと向かい、写真展の会場前を通り過ぎて広島城内にある護国神社へと参拝してここでもご朱印拝領。これで本日の走行業務が終了したのでやっとPeace
Piecesの会場、旧日銀広島支店へと向かったのでした。
会場入りしたのは13時ごろだったかな。木原さんら2名の女性が受付をしていて、名前と来訪の旨を伝えて昼飯を一旦済ませて戻ってきたらbenさんがおられました。昼飯後に写真展を改めてゆっくり見て回ったのですが、当初自分が結構固くPeaceってことを考えていたのが良く分かりました。周りの人のPeaceは本当にありふれた日常のPeaceなんです。今回は硬く考えすぎて色々やらかしてしまった自分の出展物ですが、なにやら来年も同じ会があるやうなので、今度は脈絡のある出展(笑)ができるように頑張ろうと誓った日でした。そしてその後は参加者が三々五々集まってきたり、raota君やゆみひこさんと初対面となってご挨拶したりと時間が過ぎ、木原さんの写真仲間の女性に心奪われたり(ぉぃ)、そんなこんなで懇親会へとなだれ込みます。この懇親会の席上、それなりに男性の名前と顔は一致していったのですが、あろうことか女性は顔と名前がほとんど一致しないというわけの分からなさを発揮してしまいました。いろいろな人と歓談できたのがなによりでしたよ。二次会でもそれなりに散々飲んだくれた挙句に投宿したのは日付も変わった12時半だったという……。シャワーを浴びてベッドに倒れこんだら翌朝まで泥のように眠ったのでしたとさ。 |
状況2日目 |
明けて15日。なぜかつけてもらった朝食券で朝飯を済ませ、これまたなぜかついて来た朝刊で改めて地震の被害に驚き、身支度を整えて出撃準備が完了したのが0830時。前日はブレーキングのたびに大きくアイドル回転数が落ち込む不具合を抱え込んでいたYZFも今日はその不具合も息を潜めており絶好調。多家神社を目指して府中町へと向かいました。ここで参拝とご朱印拝領を済ませたらR2でひたすら尾道を目指します。これが予想をはるかに上回るほど長かったんだ……。ところでこの区間のR2はセノハチと並走するわけですよ。セノハチといったらほら、やっぱりEF67じゃないですか。セノハチの区間の間ずっとオレンジ色のアレを期待したのですが全然見えませんでした。前回乗り鉄んときは見れたのになぁ。
そんなこんなでえっちらおっちらと走行しつつ途中で給油し、やっとこさ尾道まで戻ってきた時点で10時半ごろでした。ここで改めて艮神社を参拝してご朱印を拝領し、コモンには寄らずにそのまま吉備津彦を祀る3つの一宮の巡礼に向かったのですが、疲れと二日酔いで頭が回っていなかったのか、福山SAでルート確認のために地図を開いて愕然としてしまいました。なんと!備後一宮は尾道の真北だったのです。聞いてねぇよそんなもん〜とか思ったのは後の祭り。仕方が無いので吉備SAスマートIC経由で吉備津彦神社と吉備津神社を参拝、ご朱印を拝領しました。ちなみに尾道から松永道路、県道48号で新市へ向かうのが正解でしたとさ。そういや福山SAでメシを食おうとしたら周りが陸軍と公安で埋め尽くされていて異様な雰囲気になっていました。
さて、吉備津神社を参拝し終えた時点で1330なのでついでに赤穂も回ることにしました。赤穂には連合艦隊も訪れたという延喜式の名神大社、伊和都比売神社が鎮座しているのです。海の中の岩に祀られていたのを現在地へと移すべく社殿を寄進したのは赤穂浪士の話で有名な赤穂藩主、浅野内匠頭長矩でした。ここへ向かうのに今度はルートを間違えないようにしっかりチェックし走り始めたのはいいものの、今度はR2・R250重複区間での大渋滞に巻き込まれてしまい、結局備前長船までず〜〜〜っと渋滞の中を走り続けないとだめになりました。で、R250単独に分岐して日生を過ぎれば走りなれた道です。1600過ぎに赤穂御崎の伊和都比売神社へ参拝して本日の作戦行動は終了となりました。帰投はR250で相生まで行き、R2→R2BP群→阪神高速の予定でしたが、どうも阪神高速神戸線が魚崎から須磨までびっちり詰まって動かないようだったので急遽予定変更、伊川谷から阪神高速北神戸線へと分岐し、西宮山口南ICから有馬街道、甲山(かぶとやまだぞw)経由で帰ったのでした。1830帰着、状況終了。 |
状況総括 |
走りなれてない地域なのでルーティングがもうgtgt。とにかくもうちょい中国山陽方面の土地勘を養わないと。特に備後国が広島県東部だっていう知識がずっぽり欠落していたバカさ加減にあきれ返りました、我ながらね。広島=安芸国ってイメージは取り払わないとダメだな。
広島はもっとこう、例えば宇品のほうとか、比治山のほうとか、ゆっくりと撮影して回りたいと思う。広島の繁華街の雰囲気はどこと無く新京極に似てるかもしらん。道行く人々は京都よりずっと上品だと思う。
相変わらず体調がすぐれないので途中で観光しようって気力が殆ど沸いてこなかった。一度食らったウィルス性の風邪の影響が2ヶ月も長引くのは初めてである。
呉線方面から回ったわけだが、三原→広のガラガラ具合と広→呉→広島のゲロ混み具合にギャップありすぎ。広島市内の混雑はR2以外たいしたことない。
岡山→相生間は確かにブルーライン経由のほうが早くてすいてて確実のようだから、次回からはブルーラインへと逃げることにしようと思う。
なにはともあれ、時間を気にしつつの走行+体調不良でロクに写真が撮れていないのが非常に心残りな旅でした。 |
(C)1998/2008 Takayuki Kazahaya |
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