夏至のレイラインに秘めた結界を追う 3/5
第4章 〜レイライン追撃〜
○伊勢→伊賀神戸
 で、いざ伊勢を出て国道に上がったとたんに巻き込まれたのが大渋滞。それもシャレにならない渋滞でした。三重の方々は通勤に車を使うから朝夕の渋滞はハンパじゃないと聞いてはいましがた、この混み具合はシャレになっていませんよ。そりゃ鉄道会社が儲からないわけだ。渋滞だらけのなかを気を使いながら久居まで戻り、本日2度目の給油をして青山峠を越えます。この時点での燃費はリッター20km、FZR1000としては驚異的な低燃費を達成しています。そして往路と同じく阿保を通り、伊賀上野方面へと曲がって暫くいったところに神戸(ごうど)神社が鎮座しています。

 国道沿いに神戸神社と看板は出ているのですが、曲がったところで「で、どこにあんねん」って迷っちゃいました。仕方ナシにそのへんにいたおばちゃんに聞きます。「神戸神社ってどこにあるん?」「あそこの森んとこやでー」そんな風に教えられてたどり着いたのはこんもりとした森に囲まれた小さな神社でした。ここも大江や明日香と同じく「元伊勢」の1つだそうです。御祭神がやたらと多いのは周辺の小さな神社を片っ端から合祀したため。本来は大日女貴尊(天照大神の別名)と倭姫命、天児屋根命が祭神だったようです。実は三重県というのは明治の悪法、合祀令の影響を一番モロに被った地域だったのでした。それこそ腐るほどあった神社の大半が1集落1社に合祀されていった結果、名のある式内社も村の鎮守みたいなのに合祀され、どんどんと統廃合されてしまったのでした。そんな神戸神社でご朱印を貰おうと社務所によってみたものの、当日は神職さんが不在でがっくりでした。

○伊賀神戸→信楽
 さらに続いて信楽へと向かいます。伊賀上野から信楽へ上がる道って昔の街道そのままなので、すごく狭いんですよね。でも今回通ってみてびっくり、新しい道路が出来ていてそれを使うと信楽の入り口まで広い道を使えるようになっていました。こりゃ便利だわ。紫香楽宮はかつての都であり、伊勢と元伊勢を結ぶレイライン上に建てられた都。明らかに意識してこのライン上に建設されています。そしてその中心から少し外れたところに今回の参拝予定の1社、新宮神社がありました。ここでは無事ご朱印を頂いて次の神社、近江國一宮の建部大社へと向かいました。

○信楽→建部大社
信楽から大津へのコースですが、草津を経由する方法と、宇治田原を経由する方法と2通りあるのですが、今回は宇治田原経由を選びます。こっちのほうが走り慣れていますからね。宇治川ラインから瀬田の堰で瀬田川を渡り、旧官幣大社、延喜式の名神大社、建部大社へとたどり着きました。この時点で昼前だったかなぁ、もう眠気と暑さでこの時点でかなり朦朧としていたのでしたとさ。「引き返す?」なんていうことも考えたのですが、このツーリングを意図した裏の理由から考えると「撤退はありえない」というわけで、ここでも参拝を済ませて御朱印を頂き、山科から旧国道1号線で京都市内へと向かいました。ところがここから沓掛までがドツボの連続だったのでした。
 
 
 
○建部大社→元伊勢
 京都市内はどこを通っても大渋滞です。1号線五条通を避けて山科から三条通へと回ったのですがこれが失敗、ゲロ込みで川端通りから四条通に逃げたらさらに大失敗でした。いくらスリムでハンドル幅から出ないクラウザーK2とはいえ、パニアケースを装備しているためにすり抜けがまったく出来ないんです。これがトップケースだけだったら多少ほいほいと抜けられるんですが……。そんなこんなでモロに渋滞にひっかかり、35度を越える外気温と曇天からくる高湿度、水温が常時100度を越えているために冷却ファンが回りつづけるので足元から常に熱風が上がってきます。やばい……やばすぎる。朦朧とした意識の中で四条通を西進していてふと目にとまったのが「元祇園椰神社・隼神社」という文字。そう、延喜式の宮中神三座の一座で名神大社のアレですよ。思わずUターンしてまで戻ってきて参拝しちゃいました。

 参拝しているとマダムらと出会いました。「こういう旅の途中なんですよ」と話すと「若いのに熱心にお参りなんて珍しい」なんて言われました。しかし隼神社への参拝は今回レイラインからは外れましたが、式内社めぐりをしている身にとっては大きな収穫でした。FZRの水温も80度前後まで落ち着いたことですし、改めて大江町を目指します。

 西大路を過ぎてから四条通から五条通へとコース変更し、一路老ノ坂峠から亀岡を経由して丹波町へと向かいました。が、しかし!ラッキーに気を良くしたのが間違いだったのか、亀岡から丹波マーケスへ向かう途中、実はとうとう居眠り運転でズッコケちゃったのです。赤信号を見落としそうになってフルブレーキをかけたら停止位置には間に合ったのですが、なんとなんとブレーキを握りすぎた上に寝ぼけていて車体を支えきれず、そのまま右側にぼてっとこけちゃったのでした。車体を起こすのを手伝ってくれたおまわりさんの勧めもあって園部町内の道の駅、京都新光悦村にて1時間ほど仮眠の上、改めて綾部市内経由で大江町を目指しました。
(C)1998/2005/2006 Takayuki Kazahaya